ろかたりあん
★ -44- 堅田りあんは一休さん ★
 〜大津に縁がある一休さん〜 
撮影:2019 ⁄ 09 文面作成:2020 ⁄ 05 ⁄ 06
(最終更新:2023 ⁄ 04 ⁄ 02)

《前ページ topページ 次ページ》

■ ろかたりあんメニュー ■
インフレーム表示のため、スクロールさせながらご覧ください。

 

ここでは…
“ろか探”で向かった大津市堅田地区で見かけた飛び出し坊やを紹介します。その中で多かった“一休さん”。なぜ堅田で一休さんを見かけるのかも探ってみました。

■琵琶湖大橋そばに車を停め

この日は早朝から子供の部活動で市内某所まで車で送り、帰宅しても特に予定が無いことから少しドライブすることにしました。向かったのは、同じ市内の堅田(かたた)地区。最近ご無沙汰してました。

堅田地区はJR湖西線の堅田駅周辺で、琵琶湖大橋の西側に当たるといえばおおよその場所が想像できるでしょうか。その琵琶湖大橋傍にある「道の駅びわ湖大橋米プラザ」に車を停めます。

堅田の街中を“ろか探”するため、9月下旬ながらまだ暑い朝日を背に受けつつ、道の駅から堅田駅を目指して歩きます。



■堅田駅周辺を歩むが

堅田を通る国道161号には、先に車で通過して道沿いに飛び出し坊やがいないことを確認済みです。通常“ろか探”は住宅地エリアを狙ってますので、堅田でも駅を基点にして周辺の住宅地を探索します。

駅から、国道の旧道沿いを中心に歩きます。旧国道ということで沿線は住宅が多いのですが、なかなか飛び出し坊や達を見かけません。残念ながら見込み違いですね。


とはいえ、そこはやっぱり滋賀県。市販品であるものの、あるところにはあります。右の画像の場所では、3体の飛び出しクンが確認できます。手前と、左の電柱袂、右の看板袂ですが見えますか?

数が多いのは素晴らしいのですが、同じ姿の飛び出し坊やばかりではお腹が満足しません。ルートチェンジすることにして、堅田での著名な場所「浮御堂」を目指すことにしました。実は、筆者は今まで行ったことがなかったのです。



■浮御堂へ足を延ばす

堅田駅近隣より国道を渡り、琵琶湖湖畔方向へ向かいます。歩む方向が東に変わるため、真夏のジリジリ感ほどはないものの、顔面に太陽の直射を浴びます。おまけに道中、日陰もほとんどありません。

吹き出る顔面の汗を拭きつつ、スマホの地図アプリに道案内をさせ、無事浮御堂の近くまでたどり着くことができました。まずは観光から…


浮御堂は「堅田の落雁」(近江八景)でも有名な、琵琶湖湖上に建立された寺であり、正式には「海門満月寺」というそうです。ではお邪魔しようとしたところ、入り口にゲートがあるのが見えました。

そうか、拝観料が必要なのですね。大人は300円とのこと。本日の目的は“ろか探”であり、時間的、金銭的(これが一番影響…笑)の判断より、残念ながら拝観割愛としました。



■一休さん登場

それで肝心の飛び出し坊やですが、実は浮御堂へ到着する前に、小さな交差点の角地で出会っています。「STOP」の文字と共に、お坊さんらしき人物が描かれています。近づいて確認しました。

そのお坊さん飛び出し坊やの「袈裟」には、なんと大きく「一休」と書かれています。

今回は思い付きでの堅田訪問だけに、現地情報収集なんてやってません。なので頭の中は、「何故ここで一休さん?」という状態でした。


前述の通り300円を惜しんで浮御堂入場を割愛し、湖畔の住宅地を北上することにします。その先に、車を停めている道の駅があるためです。歩き始めると早速、有難いことに一休さんが登場してくれました。

二人目として出会った一休さんは、“欧米か”しなかったためか“STOP”の記載はなし。「このポーズより言わんとすることを読み取れ」の、無言の訴えだと理解しましょう。

いやいや、普通「足元の日本語読め」との訴えで認識するでしょう(笑)。


三人目の一休さん…先の二人に対しこちらは袈裟に名前なしですが…は、バック赤色&ギザギザ吹き出しで「飛出し注意」を更に強調して訴えています。横の電柱にも訴えの手伝いをもらっています。

近寄って観察すると、彼の構造は異なる絵を描いた2枚のプラ板を、支柱を挟んでネジ付けするものでした。裏面の一休さんも背景色は表面と同じ赤ですが、ギザギザが無い分だけ訴えが若干マイルドになった印象です。

あと彼ですが、“真正面飛び出し”というアングルなのが印象的です。通常“飛び出し姿”を描くなら、おのずと描かれた人物は横向きになるはずですね。


■一休さん以外登場も実は関連あり?

この界隈は“全て一休さん”かと思ってたら、飛び出しネコがいました。ご丁寧に「猫飛出注意」と記されてます。犬も飛び出すこともあるでしょうけど、やはり飛び出すイメージはネコが上でしょうか。

そのネコを見つつ、“実はトラではないか”と筆者は妄想してます。ご想像の通り、一休さんの有名な話「早く屏風からトラを追い出してください」からです。ということは、一休さんは「トラ出没注意」も訴えていた…ってコト?(爆)。



■追発見期待し再訪しましたが…(2021年追記)

2019年の訪問時は3体の一休さんと出会えページ作成をしましたが、他のページに比べ紹介数が多くなく、あと2〜3体は追加したいと欲が出てきました。前回探索できなかったエリアもありますので。

上に掲載した地図に2019年訪問時のルートを記してますが、その際に巡れなかったエリアを探索すべく、湖西方面を再訪する機会を狙ってました。

2021年4月にその機会が巡って来ましたので、その際のレポートを以下に追記します。探索エリアは上掲の地図に記した通りです。


同じ市内にある近江舞子へ、「湖畔のホテルにて」に記した通り訪問しました。自宅からの道中にて堅田を通るため、帰路に同地へ立ち寄ることにしました。さて、一休さんは増えたのでしょうか。

結論ですが、一休さんに出会えたものの、残念ながら期待した数は叶いませんでした。唯一出会えた彼ですが画像の通り、「行かないで」的な表情に見えて切なさを感じます。彼に何か悲しい経緯でもあったのでしょうか。

また堅田への再訪機会があり、新たな一休さんの発見があれば、続けて追記していきます。



■大津に縁がある一休さん

最後に「なぜ堅田に一休さんが」を書いておこう。

実は堅田には、一休さんが22歳(1415年)〜34歳(1427年)まで修業を行った『祥瑞寺(しょうずいじ)』があります。2019年に一休さんの飛び出し坊やと出会った場所の近隣になります。

事前に情報を得てれば、当日に祥瑞寺訪問してたかも。これもまた“機会を見つけて”ですね。

21歳まで京都で謙翁和尚に学んでいた彼は和尚の死に落胆し、京を離れ大津市の石山寺へ立ち寄り、瀬田の唐橋にて身を投じる所まで追い詰められたそうです。

失命と止められた彼はその後、一度は失望し離れた禅道に再び身を委ねる決心をし、祥瑞寺にたどり着き…という経緯があったそうだ。

安国寺や酬恩庵一休寺という京都の印象が強い一休さんですが、大津にも縁があることを再認識させてくれた「飛び出し一休さん」との出会いでした。




《前ページ topページ 次ページ》
--------------------
ページ先頭へ Finding top画面へ
Copyright 1999-2024 サイト管理人 うえの
960229